新城選手とのランデブー走行 (相沢康司選手撮影)
タロコ国際ヒルクライム レポート
山田敦 (コロンブスサイクリングチーム)
2010年11月21日に世界一過酷なヒルクライムレースと銘打ったタロコ国際ヒルクライムが開催され、この記念すべき第一回大会に私も台湾で市民レースを走る日本人の一人として参加しました。海抜0mから標高3,275m、合歓山武嶺のゴールまで、上り標高差トータル3,600m、距離90kmという難コース。関門カット時間の厳しさもあって完走率は40%程度にとどまるなか、何とかゴールにたどり着くことができました。ほとんどの参加者にとってこれまでに経験したことがないほど長く厳しいレースだったはずです。来年以降、再挑戦、または新たに挑戦される市民レーサーのみなさんに多少なりとも参考になるのではないかと思いこのレポートを書く次第です。
1.開催時期の問題
当初7月に予定されていたこのレースが突如として11月21日に延期されると知り、私は主催者に対して選手の一人として問題提起した。11月下旬では悪天候時に寒すぎて走行不能になる⇒その場合、選手の安全確保はできるのか?という疑問からだ。いろいろなやりとりがあったものの、けっきょく日程の変更は難しく11月21日開催が決まった。「山田さんは文句言うだけ?」といわれても癪にさわるので、レースの結末を確認すべく参加を決めた。
2.関門カット時間の問題
レース前、天候とともに参加選手の間で話題になっていたのが関門カット時間の問題。第1関門(距離50km、高度1,644m)、第2関門(64.5km、2,150m)ともに「20位の選手の通過時間+15%」で関門を閉鎖するという。これをクリアできるのは参加者の20~30%程度にとどまるのではないかと予想した。海外から遠路はるばるこのイベントに参加する選手も多いのに、いかなる必然性からこれほど厳しいカット時間を設定する必要があるのか。レース中盤の第2関門を越えられるかどうか、多くの参加者が不安を抱いたはずだ。また日本からの参加者にこの話を伝えたところ、「ゴールの時間制限が13:30(走行時間7時間30分)ということ以外まったくそんな話は聞いてません。」とのこと。おいおい一体どういうこと?しかしスタート直前に審判団に確認したところ、「決定事項で譲れない、カット時間の緩和は有り得ない、今回は試みをかねた第一回なので納得してほしい。」とのこと。こうなると関門突破を目指してまずは全力を尽くすしかない。
(結果的には現場判断で第1、第2関門ともに若干の時間延長があったようだ。)
3.コースの特徴
全長90kmのコースを大きく3つに分けて解説してみよう。
①スタート新城0km⇒天祥23km
わずかに上り基調だが基本的には平坦なプロローグ区間。世界に冠たる大理石の回廊、タロコ渓谷を自転車レースで走れる我々は幸せだ。エリートの引く先頭集団はアップをかねて押さえ気味なのだろうが自分はここで早くも心拍170以上に上がってしまいかなり苦しかった。ここで先頭集団から大きく離されるようだとこのルートの完走はかなり難しいと考えた方がよさそうだ。(鈴木雷太さんもここでもう足をつっていた。)
②天祥23km⇒大禹嶺80km
本格的な上りが始まると集団は一気にバラける。5%前後の傾斜が延々と続く基本的にはとても上りやすい道。なるべく早く自分と力量の近いペースメーカーを見つけてコミュニケーションをとりながら並走するのがよいだろう。この区間に設定された二つの関門通過を目指して気を抜くことの許されない濃密な走りが要求される。日の当たる南斜面と当たらない北斜面ではかなり温度差があるようだ。大禹嶺の手前で数キロにわたって高さ200mくらいを下る区間がある。このレースでもっともスピードの出る区間なのでしっかり下ハンを持って安全第一で下りたい。
③大禹嶺80km⇒武嶺ゴール90km
第3チェックポイントは大禹嶺(80km、2,565m)の峠の茶店、トンネル前の大きな三差路。この関門(スタートから5時間30分で閉鎖)を無事通過できれば時間的に完走は問題ない。さあ気合を入れなおしてもう一がんばり、と思いきや、これまでなだらかだったコースが激変する。ここからがクライマックス。何の前ぶれもなく15%超のゲキ坂が現れる。しかも南斜面で日差しが強い。高度も2500m以上まで来ているので空気の薄さも確実に感じられる。ここからゴールまでの10kmは、一つ一つは長くないものの次から次へと現れるゲキ坂との格闘になる。高度3000mに近づき森林限界を越えるとそこにはまさに天上の楽園ともいえる雄大な山岳景観が広がる。カラダは極限まで疲れ果てているはずなのに、このすばらしく美しい山岳道路を走れることの歓びを噛みしめながら全身で懸垂するように立ち漕ぎで蛇行を繰り返していく。上りきれずに自転車を降りて歩きはじめる選手も多い。ここまでがんばったら歩くのもよし。急坂を歩くのは下半身裏側筋肉のストレッチにもなる。がんばってペダルを漕いでも歩いてもスピードに大差なし。それほどのゲキ坂。気が付くとゴールはもう目の前だ。
4.ペース配分
今年満50才の私にとってロングヒルクライムでの理想的な走りは前半はややペースを抑えて体力を温存し後半も淡々とイーブンペースで走り続けること。しかし今回のように厳しい関門カット時間が設定されるとそういうわけにもいかない。はっきり言って今回のカット時間はツール・ド・おきなわ市民100~210kmに匹敵するくらいの厳しさだと思う。来年は今年の経験を踏まえてカット時間はおそらく緩和されると思う。それとカラダの仕上がり具合を重ね合わせて各人が最適ペース配分を割り出そう。
5.どういうトレーニングをすべきか
これまで台湾で最も難度が高いとされてきたレースは同じ合歓山武嶺をゴールとして表側(西側)の埔里から上るルートで行われるヒルクライムだろう。距離55kmで上り標高差2,775mとこれも相当スゴイ。しかし距離90km、上り標高差3,600mのタロコルートは強度、難度的に言えばその1.5倍くらいに当たると思う。当然だが練習なしのぶっつけ本番で上れるようなコースでないことは確かだ。ではどんなトレーニングをすべきか?走りきれたらいいな程度の願望ではなく、はっきりとした目標設定をしてカラダの準備をする必要があるだろう。
アマチュア選手が練習で一日に3,000m以上の上りをこなすことは実際にはかなり難しいと思う。今回のレースで時間内完走が目標だった自分はレース前の1ヶ月は毎週末に上りトータル2000m以上の練習をおこなった。あえてスピードは捨てて、ゆっくりでもそれだけの高度を上り続けられる持久力を養成すること、一日2,000mの上りが特別じゃなく普通に思えるカラダを作ることに専念した。台北であれば陽明山3Pルートなどがよいと思う。風櫃嘴や五指山など高さ5~600mの中級山岳を3~4回くり返し上るのもよいだろう。上り2,000mが当たり前にこなせれば本番での上り3,600m完走は射程圏内といえるのではないだろうか。
6.何を着て走るか
気温20℃の花蓮から予想気温7~9℃の武嶺ゴールまで何を着て走るか。参加者の誰もがそのことを大いに迷ったのではないだろうか。ジャージは長袖か半袖か、薄手素材か起毛素材か、パンツは短パンか長パンか、、、、当日朝、雨はないと確認できた時点で汗かきの自分は夏用の半袖半パンを選択した。頂上付近での低温にそなえてユニクロのヒートテック半袖シャツとアームウォーマーを小さくたたんでサドルバックに収納し、ウィンドブレーカーをバックポケットに押し込んだ。
結果的にこの日はゴールまでまったく寒さを感じることなく半袖半パンのまま走りきった。むしろ時間とともに上昇する気温の変化が高度上昇による気温低下を上回ったようだ。ゴール前の高度3,000m付近でも南斜面では体感的に20℃以上あったのではないか。途中、長袖長パンに身を包んだ多くの選手が顔を真っ赤にしてフラフラになっていた。だからこの日は半袖半パンが正解。コースの特殊性を考えると悪天候、寒さに備えた衣類を携行する必要はあるが基本は臨機応変に脱着可能な速乾性に優れたウェアを選ぶこと。いちばんいけないのは必要以上に寒さを怖れて厚着すること。暑すぎたらすぐに脱いで収納できることが大事。そのためにウェアのバックポケットは収納力の大きいものが望ましいし、サドルバックの併用もこのレースに関してはありだと思う。サドルバックなんて重さは高々100gくらいのもの。ちょっとカッコ悪いけど速乾性下着、アームウォーマー、補給食いろいろ入って便利この上なし。オススメしたい。
7.機材
①自転車
◆まずカラダになじんだ乗りなれた自転車であることが基本。スピードよりも持久力が要求されるレースなので長時間にわたって快適に走り続けられる信頼性の高い自転車であることが大事。平地部分で競うような状況はまったくないので低い前傾ポジションは必要なし。むしろハンドル位置を普段より少しアップ気味に調整して楽なポジションで走ることも有効だと思う。
◆フロントギアはよほどの健脚でない限りコンパクトを選択すべき。私はフロントがいつもの50-34、リアは最終盤のゲキ坂対策として12-28を使ったがそれでも上りきれなかった。リアはどれだけ大きくても大きすぎることがない。ただし、事前に操作性、作動性に問題がないか十分に確認しておきたい。
②ホイール、タイヤ
◆これも使い慣れた信頼性の高いものを使うべき。ホイール、タイヤを軽量化したくらいで脚力不足を補えるような生易しいコースではない。
◆注意したいのはタイヤの空気圧。自分は普段どおりの前後6.8barで走ったがコースの特殊性を考えるともっと低くてもよかったと思う。なぜなら海抜3,275mの武嶺ゴールでは理論上、気圧は平地のちょうど3分の2くらいになる。ということは平地で空気圧6.8でもではゴールでは10.1にまで上昇することになる。
6.8 ÷ 0.67 ≒ 10.1
平地で8.0なら11.9。これは恐ろしいことだ。合歓山や阿里山でポテトチップスの袋がパンパンに膨らんだ状態を何度も見たことがあるがあれを想像してもらえばわかると思う。空気を入れすぎた風船は指で触っただけでも簡単に破裂する。タイヤも同じ。パンパンにテンパった状態なのでわずかな衝撃要因でも簡単にパンクするはずだ。高圧すぎるタイヤはグリップ力、衝撃吸収力もまったく期待できないのでまさに悪いこと尽くめ。何一つメリットはない。タイヤの推奨空気圧に大きな幅があるのはその日に走るルートの高度差、温度変化をカバーするためにあるもので、決して高圧セッティングを容認するものではない。空気圧は高いほど転がりがよいと信じ込んでいる多くの選手に警鐘を鳴らしておきたい。
③ライト
実際に走ってみてわかったがいくつかのトンネルには照明設備がなく路面がまったく見えない状態。レース規則に規定された前照灯、尾灯は必須。
7.補給
補給スタンドが十分に配置されているのでこの時期であれば飲み物を多く持つ必要はなさそうだ。水、スポーツドリンクを選べる。自分はWGHウォーター1本+水1/2本を持ってスタートした。長丁場なので食料は吸収効率の良いものを多めに持つべきだろう。レース前半から少しずつ食べ続けることが大切。補給スタンドの食べ物はバナナくらいなのであまり期待しないほうが良い。
8.新城選手とのランデブー走行
ここからはみなさんへのアドバイスというよりは今回のレースの思い出話、いやこれはもう自慢話かな。今回のレースを語る上で日本から参加してくれたプロ選手のみなさんの存在が欠かせない。中でも今年、ジロ、ツール、世界選手権で大活躍した新城幸也選手。あの新城選手がほんとに自分たちといっしょにこのレースを走ってくれるのだろうか?レース前から地元台湾の参加者の間でもその話題でもちきりだった。実はこの私、筋金入りの新城ファンでパソコンの壁紙はずっと新城のプラン・デ・コロネス山岳TTの雄姿だし、台北の自宅も巨大アンテナ2台でスカパー入れてヨーロッパでの新城選手の出場レースはすべて録画しているし。今や世界の新城幸也。その憧れの選手と同じレースのスタートラインに立てるというだけで、自転車乗り冥利に尽きるというものではないか。しかし、冷静に考えればいっしょに走れる幸せな時間はスタート直後のわずかな区間だけだろう。
天祥からの本格的な上りに入るともう先頭集団がどのくらいのペースで進んでいるのかまったくわからない。とにかく2つの関門カットをクリアするために全力で走ることだけに集中して必死で走った。そして迎えた第一関門を無事クリア。と、ここでなんと新城選手、相沢(福島)康司選手がのんびり補給しているではないか。えぇ、本気で走るんじゃなかったの?しばらく並走しながらおしゃべりしたり康司選手にデジカメ撮ってもらったりで楽しい一時を過ごしたが第2関門が気が気でない自分はいっこうにペースの上がらないお二人に別れを告げて先を急ぐことにした。
9時20分、問題の第2関門を無事通過。スタッフに聞くとあと2分で関門を閉めるという。新城選手、康司選手だいじょうぶか?そして最終盤のゲキ坂セクション。もう体力を使い果たしてフラフラの状態。これ以上走り続けることに危険を感じた自分は迷わず自転車を降りて路肩でしばらく休むことにした。何人もの選手が追い越していく。みんな苦しそうだがこのレースを心から楽しんでいるようだ。と、そこに新城、康司両選手が上ってきた。「お二人が上がってくるまで待ってたんですよ。」さあ、気合を入れて再スタート。
ここからはもう自分にとっては夢のような時間だった。新城選手、康司選手と言葉を交わしながら同じレースを走っているのが信じられない。ここは自分が台湾でいちばん好きな場所。しかも雲ひとつない快晴。「まるでジロのモンテ・ゾンコランみたいでしょ?」「ホントですね。」と新城選手も合歓山の山岳景観のあまりの美しさに感激していた様子。苦しくて倒れそうだけど新城選手、康司選手の笑顔を見るとまた不思議に元気が出てくる。坂がきつすぎて何度も歩いてしまう自分。その前を二人がS字に蛇行して登っていくのだが不思議なことにその差がまったく広がらない。そのくらいのゲキ坂。康司選手によれば自転車選手の自分がここで歩くわけにはいかない、プロの意地で走りきったとのこと。
そして迎えた海抜3,275m、武嶺のゴール。76位相沢康司、77位 新城幸也が手をつないでゴール。新城選手から遅れること8秒、78位 山田敦 5時間40分44秒、ってホンマかいな。アジアでもっとも過酷なヒルクライムレースのリザルトに憧れの新城幸也と並んで名前を残せたのは自分的にはまさに奇跡としか思えない。(もちろんこの日の新城選手が完全にシーズンオフのサイクリングモードだったのは言うまでもないが。)不肖山田敦50才、自転車レースをやってきてよかったと心から思えた瞬間だった。
タロコヒルクライムはおそらく来年以降も続けて開催されより多くの参加者を集めることになると思う。今回は何とか完走できた自分だが、次に完走できる自信はまったくない。幸いにも今年は最高の天気に恵まれすばらしいレースになった。しかし気象条件次第では一気に危険域に入るレースだということも忘れてはならない。主催者のみなさんにはそのことをもう一度、しっかりと議論したうえで来年のレースに備えてほしいと思う。
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